「大新」のこれまでの歩み

2024年2月6日火曜日

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 いつも、当店をご贔屓いただきまして、ありがとうございます。

私は、現在4代目としてうなぎ屋を継いでおります。生まれたときから、父、母、祖父、祖母が忙しそうにうなぎ屋で働いている姿をいつも見ていました。

今は、祖父も、祖母も亡くなってしまったこともあり、昔のことを聞く相手がほとんどいなくなってしまいました。

嬉しい事に、大新には、親子三代で通ってくださってるお客様もたくさんいらっしゃるので、その方がたから、昔のお店の周辺の様子などをよく聞いたものです。

 先代は、まめな性格ではなかったようで、昔の資料や写真がほとんどありません。

当店は大正15年に今の花畑町(サクラマチ)の近くで川魚専門店として創業したそうです。

まだ、鯉や鮒も扱っていて、うなぎもその中の一つでした。

その後、昭和になってから「旭通り」という熊本初のアーケードとわれている場所にお店を移転させます。まだ、下通がアーケードになる前だったと聞いています。

当時の写真は



このような外観でした。

このころは2代目が営業しています。





2代目である祖父(右から二番目)と祖母(一番右)の写真です。

後ろのメニューにうな丼が150円と書いてありますね。安いですね。



こちらは昭和30年当時の周辺の地図です。

懐かしいお店はありますでしょうか?





その後、母が名古屋からお嫁に来てくれて、3代目である父もうなぎ屋を手伝う様になりました。その頃、うなぎ屋が火事になってしまいます。

建て替えた後の外観です



この頃の外観は、私も記憶があります。

昭和50年代の頃の写真です。





旭通りの外観がわかる写真です。

恥ずかしいですが、若い頃の母と姉です。(笑)

ラーメン屋さんの「赤のれん」、焼き肉の「銀龍」

お寿司の「寿司豊」など懐かしいお店がたくさんでした。





その後、バブルでこの旭通りを取り崩す事になり、平成2年(1990年)に現在の場所の下通1丁目に移ることになりました。

最初の頃の外観です。当時は右側にカラオケ屋さんへの入り口がありました。

私はうなぎ屋を手伝うようになったのはちょうど2000年の頃だと思います。






誰に需要があるかわからない記事ですが、このように家族の思いを受け継いで、これからも頑張って行きます。











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大学生の時に祖父が亡くなり、父と一緒にうなぎ屋を継いでから20年。うなぎ一筋に頑張っています。

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